1957-03-12 第26回国会 衆議院 地方行政委員会 第8号
やみ米を食わないりっぱな人は、山口判事のように死んでいかなければならない。しかしながらやみ米を買っているやつがつかまったら懲役に行かなければならない。摘発されたやつが損だということになってくる。ああいうような法律は、これは御承知のように天下の悪法であります。ですから、これは何としても改廃しなければならぬ、こう思っておるのであります。
やみ米を食わないりっぱな人は、山口判事のように死んでいかなければならない。しかしながらやみ米を買っているやつがつかまったら懲役に行かなければならない。摘発されたやつが損だということになってくる。ああいうような法律は、これは御承知のように天下の悪法であります。ですから、これは何としても改廃しなければならぬ、こう思っておるのであります。
山口判事の崇高厳粛なる事例を引くまでもなく、法を犯さなければ生きられないという法の実体を失っているこの忍びがたい現状を一日もすみやかに打破するために、米の統制撤廃がぜひ必要である、こう私は考えますので、法務行政の最高責任者である法務大臣、また国民道義の観点に立って文部大臣、御両者が強くこの問題を推進されることを私は希望いたすのでありますが、これに対する御両所の御意見を伺いたいと思います。
山口判事がちようどこのやみ事件を取扱つてこれは私には処理ができないといつて餓死したというあのときであります。そこで森漁業会は一億のやみ事件として取上げられて、会長たる私が責任をとられることになり告訴されたのであります。事実はやみの問題は私が取上げたのでなくて、役員が相談の上やつたことであるから、私は責任が当然あるとは思いますけれども、刑事上の責任は何らないのであります。
これとあれとを比較した場合に、山口判事の死と農林大臣との間に、あまりにも私は差のあることを考えるのであります。 しかも、今回の法相の実弟事件は、さきに浦和地檢におけるところの田中檢事の少年暴行事件、あるいは衆議院における弾劾裁判訴追委員会におけるところの静岡事件の天野判事のするめ事件のごとく、司法官のあり方が今日まことに國民の信用を失墜しつつあることを私は遺憾に思うのであります。
(拍手)民を裁く司法官は、山口判事あるいは幸節檢事のごとく、法の神聖を堅持し、節操を守り、国民に信頼を得てこそ、法治国としての司法権の確立を期し得るもので、あると考えるのであります。
○鈴木國務大臣 山口判事の場合は、たびたび例に引かれますが、統制物資だけでは生きていかれない、実例になる。むろんそういうことも申されましよう。山口判事は重い病氣ももつておられたのでありますから、なおさら普通の人よりも栄養をよけいとらなければならない状態にあつたのでありますから、そういう意味において、まことに痛ましい犠牲でありまして、政府といたしましても、深く反省させられるわけであります。
殊に山口判事というような事件も、これも給料が足りないというより、裁判官の立場として闇を絶対に買わないということから非劇が起つておるように、これを特に考慮すべきものだと考えるのであります。ちよつと速記を……。
○大島(多)委員 ただいまは山口判事に對する弔意の件に關しましては、私の方が從來の考えから錯覺を起しまして、失禮申し上げました。それからその他のことにつきましては、御懇切なる御答辯をいただきまして、感謝する次第であります。 それから簡易裁判所の權限についてお伺いしたいのでありますが、簡易裁判所の權限が、あまりに過少に過ぎる結果、その必要性さえも疑われてくることになるのであります。
山口判事の神のごとき死につきましては、非常に社會全體に感激と衝動を喚び起しまして、いろいろ問題になつておることは、仰せの通りでありまして、私も國會外の他の機會において、幾たびか質問を受けて、お答えをいたしております。先日もラジオの、大臣に聽く會におきましても、その問題に觸れまして、崇高なる山口判事の死に對して深く慶弔の意を表しておいた次第であります。
先日私は所用のため、郷里佐賀に歸つたのでありますが、たまたま私が佐賀におりますときに、山口判事の榮養失調による死を、大阪朝日新聞の記事によつて知つたのであります。
それから山口判事の死に關連いたしまして、いわゆる判檢事の生活保障の問題、主食の加配等をやるつもりはないかというお言葉でありまして、實は私は主食の加配は勿論といたしまして、野菜や魚まで一つ配給をしたい、こう考えまして大方の判檢事が榮養失調を呈しておりますので、これは容易ならん問題でありますから、實は銀行から金を借りて、今度皆さんの御援助によりまして増額せられまする俸給を擔保にして、一大消費組合を作つて
そこで先般のような山口判事のような問題が起きまして、漸く世間に注目されまするけれども、併しああいう人は一、二に留まらないのでありまして、私の知つておる人でも、いよいよ食えなくて裁判官を辞めて弁護士に登録した、その登録の喜びを持つて帰るときに倒れて、日比谷で死んでしまう。こういう実情にあるのであります。
政府のおつしやる通りにまいりますれば、かの山口判事の死によつて報いられたというようなことに陷る。これを政府では流通秩序の問題とか、各般に對して國民生活の安定をとつておるという仰せに對しましては、少しお考えが違いはしないか。こういうふうに考えております。
ここにおいて私は先程左藤君も言われましたが、統制法を厳守して餓死された山口判事に私はここで深甚の弔意を表する者である。私は哲人のごとく貧しく、あのように闇を拒んで死んだ若い裁判官の死を決して無駄にしてはならないと思う。これに対して首相若しくは和田君が、堂々と天下に立つて説明をせられることを憎んでおられることに私は遺憾の意を表しておる者である。果して食糧統制法が惡法なりや否やには検討の余地がある。
たつた一人、澆季末法の世に珍らしく、みずから人を裁く裁判官の身でどうして闇ができようかと、飽くまで配給生活を守り続けて、遂に極度の栄養失調で倒れたあの山口判事に対しては、あれ程説教の好きな片山首相も、理論の鋭い和田長官も、口をつぐんで一言の所見も述べておられない。これに対して國民の行くべき道を教えておられない。
これは山口判事がその死を以て示しておる。それから七十一ページを読みますと興味あることが書いてあります。「人は動物、植物のまねをするべきものではありません。人間らしい生活をすべきものです。しかしまず生きていなければ人間らしい生活は始まりません。生きるためには食べることが第一です。食べることをいやしいことのように軽く見てはなりません。男も女も力を合せて人間らしい生活を打建てる。
その具體的の例を申しますと——こんな例を申すことはちよつとお氣の毒のような氣がいたしますが、先般の朝日新聞に山口判事が榮養失調症で死んだという記事が出ておりました。これについては荒畑委員からもお話がありましたが、私はこういうことが何よりも生きた實例であると思うのであります。そこで飢餓豫算になるような面を何かくふうはできないものであるか。
私はなぜこの批判を取上げたかといいますと、やはり私どももこういう考えをもつているからでありまして、この山口判事の榮養失調死というものは、流通秩序はお題目はいろいろ言つておりまするが、それが確立されていないということと、もう一つは非常に末端まで統制法規がくもの巣のようにはりめぐらされておつて、この二つがこの判事を死にいたらしめたと思うのであります。
昨日の新聞によりますと、東京地方裁判所の山口判事は、政府の指示に從つて一切のやみ行為を排し、一切のやみ生活を排し、まじめに遵法生活を続け、遂に栄養失調となり、死去せりと報じておるのであります。國民が政府の指示に從つて生活すれば餓死しなければならないとは、実に容易ならざるところの事態であり、政府の政策に根本的な誤りがあると断ぜざるを得ないのであります。